← Notes

Notes / note

建物の下を、街の通路にする

台湾の騎樓を、日陰をつくる建築と、別々の建物をつなぐ歩行空間として読む。成立の手がかりと、通路の連続性を考える。

台湾を歩いていて、建物の一階が少し奥へ引っ込み、その手前がずっと通路になっていることが気になった。上には建物があり、横には店がある。別々の建物なのに、歩く側から見ると一続きの道に見える。

2026年9月25日に写真を撮って、名前と成立を知りたくなった。こうした建築・空間は、台湾では「騎樓(qílóu)」と呼ばれる。臺北市の委託研究の公開概要も、一階の一部を後退させた通路として説明し、歩行・日よけ・雨よけの機能を挙げている。資料1

全部の建物にあるわけではない。それでも、隣の家の下へそのまま歩いていける構造は面白い。一棟の建築が、街の道の一部になっている。

暑さと雨だけで、成立を説明できるだろうか

日陰と雨よけの便利さは、歩けば想像できる。ただ、気候に合う形だったことと、その形が街じゅうにつながるようになったことは、別の説明が必要そうだ。

比較できるのが、シンガポールのショップハウスに沿う five-footway だ。シンガポール国立図書館の歴史解説によれば、1822年の都市計画では、建物の前に連続した屋根付き通路を設け、常時開放する構想が示されていた。資料2

ここで効いているのは、屋根の形だけでなく「隣へ続くこと」と「通れること」を求める仕組みだ。ただし、シンガポールの制度が台湾の騎樓の唯一の起源だと、この比較からは言えない。各地の形成過程や伝播経路は分けて調べる必要がある。

清代の亭仔腳に、日本統治期の制度が重なる

台湾側の成立を考えると、日本統治期の建築行政と市街地整備も外せない。ただ、その前から屋根付きの歩行空間はあった。國史館臺灣文獻館の「亭仔腳」の解説は、大里老街の木造形式を清代中末期の街屋の例として挙げている。資料3

その既存の形式を、建築規則と街路整備の中に組み込んだことが、日本統治期の重要な影響だと整理できる。

1900年、台湾総督府は「臺灣家屋建築規則」を公布した。國立政治大學不動產研究中心に掲載された沿革解説によれば、第4条は沿道の家屋に庇のある歩道を設けることを原則とし、許可による例外を認め、対象道路や幅・構造を地方長官が定める仕組みだった。資料4 法令名と律令第14号の資料は、臺灣文獻館の公文書目録でも確認できる。資料5

ここでの変化は、一軒ごとの雨よけが便利だという話に、行政が通路の設置や形を定める仕組みが加わったことだ。全島の全建物が一度に同じ姿になった、という意味ではない。

しかも、隣の建物とつなぐこと自体が、当時から問題になっていた。臺灣文獻館所蔵の「家屋建築規則ニ關スル伺ノ件(臺北廳)」の公開内容記述には、建物間の間隔を求める規則に対し、亭仔腳は通行人の便宜、集客、市街の美観のために連続させたいという台北庁の伺いと、それを許可した件が残る。目録の期間は1908年12月〜1909年3月だ。資料6

一棟ごとに離す規則と、街の通路としてつなぐ必要。この調整は、この記事で考えている「建物の境目」とかなり直接につながっている。

市街地整備との関係では、大甲区公所の歴史解説が、日治期の市区改正に伴う道路拡幅と、沿道家屋の後退・騎樓を設けた再建を記している。資料7 これは大甲の事例で、台北を含む各都市の経過がすべて同じだったとは限らない。

こう並べると、台湾の騎樓は、清代からの街屋の形式に、日本統治期の建築規則や市区改正が重なり、都市の歩行空間として形づくられてきたと捉えられる。僕が歩いた通路にも、気候への工夫だけでなく、別々の建物を一つの道として扱う歴史が重なっているのかもしれない。

持ち主の違う床を、一つの道として歩く

臺北市の委託研究の概要は、騎樓を私人所有と公共の通行義務が重なる場所として捉え、所有者と歩行者の関係や維持管理を論点にしている。資料1 これは研究の整理であり、個々の物件の権利関係を判定するものではない。

歩く側が欲しいのは、次の建物へ続く道だ。一方、建物側から見れば、店の正面にある床でもある。商品を置く場所、出入口、搬入の動線と、通り抜ける人の動線が同じところに集まる。

シンガポールの歴史解説にも、歩行と商業利用の衝突が描かれている。資料2 台湾と同じ制度だという意味ではないが、通路を建物の一部としてつくると、使い方の調整まで建築についてくることが分かる。

広さより、つながっているか

ここからは、連続性を考えるための独自モデルを置く。

一列に並ぶ建物を nn 棟とし、各棟の前を特定の歩行者が通れる確率を pp とする。障害の発生が独立し、一棟でも通れなければ「屋根の下を最後まで連続して通る」ことに失敗すると仮定すれば、成功確率は pnp^n になる。

仮に各棟が95%の確率で通れても、20棟続けて通れる確率は 0.9520≈0.360.95^{20}\approx0.36。各棟が99%なら 0.9920≈0.820.99^{20}\approx0.82 だ。実際の騎樓を測った数字ではない。それでも、個々の場所では珍しい障害が、長い経路では無視できなくなる構造が見える。

もちろん現実には迂回できるし、障害の発生も独立ではない。さらに、段差を越えられる歩行者と車椅子利用者では、同じ区間でも「通れる」の意味が変わる。このモデルは街への到達可能性ではなく、指定した一本の経路の連続性だけを表している。

だから整備の評価も、屋根付きの面積を足すだけでは足りなさそうだ。大きな通路を一つ増やすより、途切れている短い区間をつなぐほうが、長い経路を利用可能にすることがある。どこが接続を切っているかによって、手を入れる順番が変わる。

次に歩くときは、境目を見たい

検証するなら、同じ区間で屋根の連続、通れる幅、段差、障害物、車道へ出る回数を記録したい。時間帯を変えれば、建築としての段差と、一時的な使われ方による障害も分けられる。車椅子やベビーカーについて評価するなら、当事者の利用条件を含めて調べる必要がある。

僕が最初に見たのは、建物の下にある気持ちよさそうな通路だった。名前を知ってからは、建物と建物の境目が気になってくる。そこがつながっているから、よその建物の下が、街を歩く自分の道になる。

Sources

Related notes つながる問い

  1. 台湾を歩く旅を、距離だけで設計しない

    13事例の調査を残し、歩行距離と滞在時間のトレードオフをモデル化。徒歩・中国語・現地交流を、七日間の試行へつなぐ。

  2. 荷物を減らすと、街への依存が見えてくる

    身軽な海外旅行を、グラム数だけでなく現地調達・洗濯・電源への依存から設計する。